8. 白菜堀のアルバイトを終えて…

オッパが長野県の白菜堀りのアルバイトを終えて、初めて私の実家に泊まりに来た時のことです。

私の両親も彼を迎えるために精一杯の準備をしてくれました。

彼は日本語が一言も話せませんでしたが、住み込みのアルバイトで鍛えられたせいか、私の両親と日本語での会話が成り立っていました。
両親も私も本当に感心しました。

夕食の時間になり、私の母はそれこそテーブルの脚が折れてしまうほど沢山の料理を準備してくれました。
韓国の田舎で育ったオッパはそれまで見たこともないご馳走を前にただただ空いた口が塞がらない状態でした。
それまでも私は彼の貧乏秘話をたくさん聞いてきました。
お腹が空いた時は学校で水道水を飲んでお腹を膨らませた等々、それはまるで私の父の幼少期のような話ばかりが出てくるので、私と2歳しか変わらないオッパと父(戦後生まれ)の生活レベルが合致し、私はオッパの話を聞く度、まるで父の話を聞いているようでした。

その反面、私の家といえばいつも母は食事に気を使い、特にお客さんが来たわけでなくてもいつも豪華でした。
なのでオッパが来た時はさらにスペシャルだったのでオッパはそれらを見て言葉をなくした訳です。

オッパは数えられないほどのエビフライを見ては「ふぁ~」と言い、霜降りのステーキを食べては「ひえ~」と言いました。オッパはものすごい量を片っ端から全て食べ尽くしました。
私の家族はオッパの食べっぷりに驚きました。
そこまでは良かったんです!

その後も母は「デザート食べる?」とまたカロリー大のケーキを持ってきてはオッパは「いただきます!」、
「アイスクリームもあるけど、もう無理よね?」と言うと、「いただきます!!」そう言って絶対に断わりません。
父も母も弟もしまいには「無理しなくていいよ」「全部食べなくてもいいよ」と言いました。

それから30分経った頃ぐらいでしょうか、みんながテレビを見ながらくつろいでいるのをよそにオッパはキッチンに置いてあった盛ってある果物を見て、

「お母さん、これ食べていいですか」と言いました母はもちろん

「うん、何でも食べていいからね」と言いましたが、内心脅威を感じていたと言います。

翌朝、早くに目が覚めた私はオッパがいない事に気が付きました。
私がキッチンに向かうと、何やら暗闇でごぞごぞ動いているではありませんか!

私「オッパ?オッパ!!そこで何してるの?」

振り返ったオッパの口の周りは真っ白でした。人数分買っておいてあった大福を指でつまんではひょい、ひょいっと
全て食べてしまいました。

オッパ「これ、甘いな~」

私「それ、いいんだけど、人数分買ってあったやつなんだけど...」

オッパ「だってお母さんが全部食べていいって言われたから...」

そうなんです!
韓国は沢山食べることが喜びであり、礼儀でもあります。
また食事を準備した人も沢山食べる人を見て、また喜びを感じます。

私の両親といえば......脅威的に食べまくるオッパを見ては

「あの子、どんな風に育ってんのん?」と言い、一番風呂に入った後、お風呂の栓を抜いてお湯を全部捨てたオッパをみては苦笑いして、そうやって初めての私の実家でのお泊りは幕を閉じました。

ジャン、ジャン!

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