21.オッパがアッパになっても精神年齢は子供。

私の実家での生活は私にとっては親がいてくれて子育てを手伝ってくれるのでとてもありがたくはありましたが、同時に親と韓国人の夫の板挟みになり、毎日心が疲れ果てていました。

親にとっては韓国人との生活は初めてのものであり、文化の違いから理解しなければなりません。しかしいくら私が日本と韓国の違いを親に説明したとしても生活である以上頭と心が付いて行かない様子でした。

この頃、子供は1歳になろうとしていましたから、もう私は夫をオッパ(お兄ちゃん)ではなく、アッパ(パパ)と呼んでいました。

私「アッパ、お父さんは家の事をみんなが少しでも楽できるようにやってくれているんだよ。娘の私でもお父さんが家の事をしてたら申し訳なくて一緒にするよ。アッパは横でお父さんが家事をしていても申し訳なくないの?」

アッパ「会社の人にこの家の状況を話したら、みんな普通じゃないっていう。お父さんが率先して家事をするなんて...やっぱりこの家がおかしいんだろ」

私がいくら話しても話は並行線です。

私は家族の形が問題じゃない、人を思いやる心が大事なんだと主張し、彼は私の家がおかしいと主張しますしかし彼がどう思おうと私から言わせればアッパ自らが日本での生活を決めたんです!私の大学教授の夢を台無しにしてまで!!

しかもアッパは子育てを一緒にしようとはしませんでした。男の仕事と女の仕事を分けて考えていて、子育ては女の仕事...そう考えている彼は子供が1歳になるまでおむつ一つ変えたことはありませんでした。

私はそういった彼を見る度、日本行きを決定させた「家族のために日本で暮らしたいんだ!」そういった彼の言葉がいったい何だったのか分らなくなり、子供の事、親の事、そして私の夢を壊した張本人が彼であることにもう我慢できなくなっていました。

私はアッパの服をクローゼットから取り、それらを握りしめながら2階から落としてしまおうか、ごみの日に全部出してやろうか、はたまた風呂の水に全部つけてやろうか...

そして彼が大事にするパソコンの前に立っては彼が帰ってくるまでにバットでぼこぼこにしてやろうかと毎日妄想を膨らませるのでした...

今から考えればその時の私は普通ではありませんでした。

しかしもう全てが限界でした。そしてとうとう私は彼の服を全て風呂の水に沈めてしまう日がやってくるのでした...

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