19. 日本での生活のはじまり、はじまり。
「家族を大切にしたいから日本に行きたいんだ。俺を信じろ!」
わたしは大学で日本語を教える仕事に就くための10年間の下積みを白紙に戻す覚悟で日本行きを決意しました。しかし帰国を行動に移す為にはオッパのこの言葉に執着するしかなかったのです。
私は高校を卒業してからずっと海外生活。手の届く所にある夢、友達、仕事を捨てました。悔しかった…
私達は何の経済的な基盤もない中、実家で私の両親、弟、そして私たち家族3人で暮らすことになりました。
オッパの職場には韓国人が3人ほどいました。なのでオッパは意思の疎通はできました。ただ問題は会社の社長は韓国人が嫌いだということでした。私の母が余りにも一生懸命義理の息子を雇ってほしいと頼むので仕方なく許したのです。歓迎されない立場でオッパはアルバイトから始めました。
会社に入ったオッパは一生懸命働きました。一般的に韓国人は自分のプライドをかけて一生懸命働きます。ただその分衝突も多いのです。その社長は韓国人同士でとにかく喧嘩が絶えないという理由で韓国人が嫌いになったといいます。
ただオッパはそこで働く韓国人とは違いました。下の下から徹底して学び、そこでのスキルを自分のものにしていきました。彼は開拓するのは苦手ですが、与えられた所ではいつもどこでも一生懸命な人です。
そしてオッパは社長から好かれるようになり、信頼され、仕事を任せられるようになりました。いつしか彼は会社に無くてはならない存在になっていったのです。
オッパはこう言いました。「日本に来て生まれて初めてやり甲斐というものを知った」と。
わたしはこれで良かったんだと思いました。オッパ個人的には…
日本での生活の最大の問題は私の親との同居です。
私の母は浪速の後光が出ているような人。心で思ったと同時にそれが口に出てしまいます。
一方オッパは韓国人。
気は弱くても自尊心の持ちようだけは誰にも負けません。たとえ相手が義母であっても…
そして二人のバトルはいつも予告もなく始まり、私は二人の板挟みになって
日本に来た事を心の底から後悔するのでした…