18.オッパが日本で仕事?
「日本で働く気はないか?」という義母の提案にオッパはとても驚きました。
それもその筈。オッパは海外で暮らした経験もなく、日本語も全く話せません。
しかしオッパにとってこれからの問題よりも今、限界にきている状況からの脱出の方が大切でした。
オッパは3日も経たずに私にこう言いました。
「日本で暮らそう!」
私の答えはもちろん...NOです。
「オッパ、今言っている事がどういうことなのか本当に分かってる?日本語も全くできない。日本について何も知らない。今のオッパが日本で働くには余りにも準備が整ってなさすぎる」そう言って私は自分の話をしました。
「10年間、私が苦労してきたことはどうなるの?今まで何のために日本語講師として経歴を積んできたと思う?人脈だってそう...今、やっと苦労してきた結果が出てきてる時なのに何言ってんの?!」私は大学院で博士に入ったら大学で教えることが決まっていたのです。そうなれば大学教授になるには時間の問題でした。自分の夢が叶うことは分かっていたのです。私は心の底から怒りが込み上げてきました。
オッパは家族の人生がかかっていることを余りにも簡単に決めてしまったのです。私はオッパという人間に心の底から失望しました。いえ、軽蔑しました...
それでもオッパは私に頼み続けました。オッパは私の顔をみる度「日本、日本」と言い続けました。
どんどん結論を出すべき日が近づきました。
私は何の魔が差したのか...こう考えるようになりました。
今までオッパが自分にこれだけ何かを頼んだことがあっただろうか。旦那がこれだけ行きたがってるのに、
私が反対することが正しいことなのだろうか.......私の周りでは日本に行った友人はみんな約2年で韓国に帰って来ていました。私は2年を目途に帰ってこればいい。
そう思うようになり、最終的にオッパが私に言った一言を信じて日本で住むことにしました。
オッパ「家族を大切にしたいから日本に行きたいんだ。自分を信じろ!」
それからは引っ越しの準備に追われました。私の仕事関係者からは猛反対を受け、大学院の仲間からは口を揃えて「今日本に帰国するのは理解できない」と言われました。
それでもオッパの一言を信じ、私の心は揺るぎませんでした。
もう日本に戻って19年になります。今、私はあの時の27歳の自分に会えるとしたらこう言うでしょう。
「何の根拠もなく話す夫を信じたのは自分、その代価は大きいよ」と...