13. 義理の母とオッパとの闘い。

外国で暮らしながら、初めての出産を迎えようとする私に対してオッパは余りにも思いやりがない態度で接しました。

そしてそんな私を心配して母が日本から駆け付けたのです。
母はもちろん韓国語が話せず、オッパは日本語が話せません。
何日か私たちと共に暮らすことになった母も、またオッパもお互い居心地は良くなかったことでしょう....

母は朝早く出勤し、夜遅く帰ってくるオッパを理解していました。

ただ母は勘が鋭い人。

オッパの私に対する配慮の無さはほとんど顔を合わせることのない短い時間の中でも十分に伝わりました。
母はそんなオッパに苛立ちを隠せなくなり、オッパはそんな義理の母に恐怖感を抱くのです。

多くの韓国人がそうなように愛想笑いができないオッパ。
私から見ればそれは露骨に母を避けていました。
そしてとうとう母は爆発してしまったのです!!

「チュンス君!私がここにいてたらあかんの?!それならはっきり言ってくれる?私は娘の家にもおられへんの?

はっきり言ったらどうなん!!!」

大阪のおばちゃんが切れると...おお、怖い......
しかし母の言うことは何も間違ってはいませんでした。
オッパはただただ下を向きましたが、
それから以降もオッパはそんな母を避けることを止めませんでした。

きっと「たてまえ」のない韓国人は心の向くままに動いてしまうのでしょう。
韓国人の良さがこの状況では完全に裏目に出たというわけです。

私は早産のけがある、絶対安静の身でしたが、2人の間に挟まれて地獄にいる気分でした。

母には私は大丈夫だからとにかく日本に帰るようお願いしました。
そして母は心配な娘を韓国に置いて、日本に帰国することになったのです。

空港バスの停留所の前で母は私に涙しながら、「ほんまにごめんやで」と言いました。

そしてあんなに憎らしく思っていた義理の息子の手をぎゅっと握って...

「お義母さんが、ほんまにごめんやで。チュンス君、娘、頼んだよ」と言いました。

私はそんな母の前に心配ばかりかける娘でしかないことが申し訳ありませんでした。
だからこそより笑顔で見送るのでした。

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