7.白菜堀りと婚姻届け?

オッパと私はどれをとっても全く正反対でした。

大学入学当初に出会い、それから月日は5年経っていました。
その間私たちはお互い分かり合えない苦しさにおかしくなりそうな時が幾度となくありました。
また当時のオッパはお金も仕事もありませんでした。
オッパは私との将来を見越して、学歴の差ができるのを恐れ、働いていた職場を辞めて大学に入り直しました。

貧乏で不安な未来、あるのはオッパの借金…
それに私たち2人の間には価値観の違いという壁が高々とそびえ立っていました。

そんな時、私の大学で長野県で白菜堀りのアルバイトを募集するというポスターが貼ってありました。

それは1か月半で大金を手にし、また住み込みなので日本語を学べるという夢のようなバイトのように思われました。しかし実際は毎年余りにも大変な仕事なのでそれまで稼いだバイト代を放棄して途中で韓国に戻る人たちが続出していました。
オッパはそれに参加すると言いました。

しかしその頃、韓国人が日本に長期滞在するにはビザが必要でした。
もちろん結婚して配偶者ビザが取得できればその問題は解決できます。

オッパは私にこう言いました。

「どうせ結婚するんだから今、婚姻届を出してしまおう」

白菜堀り?婚姻届け??結婚!!!私は意味が分かりませんでした。
白菜堀りと私の結婚を重ねられる事も嫌でしたが、その時、私たちは結婚するための何の備えもありませんでした。

オッパは大学生、私は大学院生。
自分のことで精一杯なのに何が結婚だ!
オッパは無責任だ!!
現実の状況とオッパの話が噛み合わない...

でもオッパはやはり軍隊を出た韓国人です。
彼は何があっても意志を曲げません。

私は悩みました。
何一つとして私たちが結婚できる要素がありませんでした。
ただ一つ、確かなのは...私は既に彼を家族として受け入れていたということでした。

それが証拠にオッパのいない私の人生は想像もできませんでした。
そしてオッパもまた私と同じでした。
出会ってから今に至るまで彼は私に「別れよう」と言ったことは一度もありません。

出会ってから6年後、私たちは婚姻届を出しました。
夏休みになり、オッパは白菜掘りに行き、私は彼に生活費を渡すため観光地で住み込みのアルバイトをしました。
オッパは白菜堀りの厳しさに耐え抜き、アルバイトを終えて私の家族に会いにきました。
関空でオッパが出てくるのを待っていると、真っ黒になったオッパが手を振りながら満面の笑顔で出てきました。

そして何よりも驚いたのは一言も日本語が話せなかったオッパが私の両親と会話をしているということでした。
こうしてオッパは初めて私の実家に数日泊まることになります。

続きは今度...

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